暖かな日が訪れています。 先日、講座の合宿で熱海に足を延ばしました。 全国でも沖縄と同じ時期に咲く、早咲きの桜が「あたみ桜」なのだそうです。 暖かな日差しの中で、小さな花が咲いているのを見ると、自然と笑みがこぼれてきます。 緊急事態はまだ続きますが、大自然の営みは変わらずに折々に訪れてくれます。
●10年 —————————————————————–
東日本大震災が2011年3月11日。 あの日のことは、今でもそれぞれの記憶の中にはっきりと残っているでしょう。 私は、新横浜に到着したばかりの新幹線の車内にいました。 発車することもなく、そのまま停車し続けて何が起きたのかわからないまま 時間だけが過ぎていました。 だいぶ時間が経った後に車内放送で、聞いた事実に驚愕したことを覚えています。
3月24日に福島県小野町の避難所を訪れ、 その避難所から母畑温泉八幡屋さんに移っていく被災者を追いかけました。 それ以来、そこに避難された広野町の方々とのお付き合いが始まりました。 はじめは、八幡屋さんのロビーをお借りして「子ども村」を作り、 避難してきた子どもたちを対象としたアートの場を設けました。
初めは子どもたちも、いったい何が始まるのか いぶかしげに遠くから眺めるだけの日々が続きましたが、 次第に参加する子どもも増え、毎週木曜日から日曜日までの子ども村は盛況でした。
それでも、余震のたびに、体調を壊す子どももおり、 私たちも手探りで、その場を安心安全の場として提供し続けたのを 今でもはっきりと覚えています。
●絆 —————————————————————–
当時、日本中で、「絆」という言葉が飛び交いましたね。 みんなで一緒に乗り越えようという意識のもと、様々な取り組みがありました。 そして、11年目を迎えようとする今、 わずか10年でその意識はずいぶん変化したようです。 先日、夜遅くに福島で大きな地震があった時、(東京でもかなりの揺れでした)、 一番にメッセージをくれたのが、広野町の方でした。 「そちらは地震大丈夫ですか?こちらは今から片付けです。 余震が続きますので、お互い気をつけましょう」
なんだか、立場が逆でした。 私が気にかけなければならなかったのに、
Yさんがいち早くメッセージを送ってきたのです。 Yさんは、当時3人の子供を抱え、避難所を転々とし(確か7か所と言っていました) 本当に大変な日々を過ごされました。 その後の5年ほど、広野町の子どもたちや保護者の皆さん、 そして町の方々との交流を広げました。 いまでも、主だった数人と年末に忘年会をやった楽し思い出があります。 しばらく広野町に入っていませんが、「絆」は変わらずにつながっています。
●アート ——————————————————————-
私たちの、子ども村や、広野町でのサポートは、もちろんアートセラピーでした。 毎週末、泊まり込みで4-5名が参加してくれました。 子どもたちと一緒になって遊び、アートし、ココロをつなげていました。 アートは言葉を超えて、大切な「何か」をお互いに伝えあうことができる手段です。 たった一本の線で、カタチで、色で、気持ちを伝えあうことができるのです。 そして言葉では到底言えないようなことも、ちゃんと表現されて現れます。
何かを診断したり、分析したり、占ったりするのではなく、 アートセラピストは、その表現に寄り添い、共に感じ、 その人のしたい表現を受け止めるのです。
クエスト総合研究所の取り組みも、23年目を迎えました。 日本国内で、ようやくアートが心を整えてくれる問うことが、 識者にも伝わってきたようです。
子どもも、大人も、病の人も健康な人も、一日の中で味わう苦悩があります。 そんな自分をあれこれ考えて悩むのではなく、 クレヨンを握ることで気持ちが解放されるのなら、 だれだって心を健康に過ごすことができるのです。
私たちは、これからもアートを日々の生活に取り入れていくための 環境提供を模索していきます。
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