●自己と自分の違い
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以前にも書いたことがあるかもしれませんが、
日常で「自分」という言葉を使いますが、「自己」を使うことは少ないですね。
「自分」と、「自己」はどう違うのでしょうか?
ユング心理学では、「意識」「個人的無意識」「集合無意識」と心理構造を3層に分け、
この3層全域の中心に「自己」を位置づけています。
そして、意識の中心に「自我」を位置づけていて、
この自我を私たちは「自分」と呼ぶことが多いようです。
つまり普段「自分は、、、」と言っているとき、
全体としての「私」ではなく「ほんの一握りの領域」のことを言い表しているわけです。
ユング心理学では、3層全体に対して、意識の領域は10%以下と想定してます。
つまり、「自分」のことは、全体の1割しかわかってはいないということになるのです。
それに対して、「自己実現」とか「自己表現」「自己暗示」「自己愛」「自己犠牲」
「自己嫌悪」など自己を使う言葉もたくさんあります。
そこで、「自己を学ぶ」とは、単に知識や経験を増やしていくということにとどまらず、
意識できていない本来の自分に興味や関心を持ってみてはどうですか?という提案です。
●自分に気付く
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自分のことはよくわかっている、という人はいるでしょう。
でも、意外とわかっていないことが多いのです。
河合隼雄先生の著作に、こんなエピソードが紹介されていました。
交通事故でご主人を失った女性が、
「なんでこんなことになってしまったのか?」と言ったことに対して、
医師は「交差点で信号無視をしたトラックが歩行中のご主人に、、、、」と、
その原因を説明をしたのですが、
この女性が欲しい答えではないのだ、という内容でした。
私たちが知りたい「なぜ?」にはいろいろな種類があります。
誰かがそれなりの正解を持っているものもありますが、
この女性が本当に知りたい、命についての意味はなかなか知り得ないことが多いのです。
たとえば、こんな質問はどうでしょうか?
「あなたは何のために生まれてきたですか?」
「あなたの人生の目的は何ですか?」
「人生を通して、何をやり遂げようとしているのですか?」
などなど。
普段はあまり考えないし、考えなくても生きていられます。
面倒なことは考えなくてもいいのですが、私たちが困難に直面したときに、
こんな問いかけが自分の内側から聞こえてくるのです。
問題解決の対処にいくら長けていても、どうすることもできないような状況に置かれると、
この「何のために?」が聞こえてくることがあるのです。
もちろん「正解」はありません。
誰かに聞いても、その人なりの答えはあるでしょうが、
あなた自身の答えにはならないのです。
●本当はどうしたいのか?
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生きるために仕事をし、家族や周りのために骨身を削る毎日は人間の務めかもしれません。
でも、自分自身のことは、案外おろそかにされていることも多いようです。
人生を最後まで一緒に生きていく自分自身について、
時には思索を巡らせてみるのもいいかも知れません。
秋の美しい青空を見上げながら、
秋の夜長の月を眺めながら、
家族だんらんを見守りながら、
湯船につかりながら、
「自分の生きたい人生を生きている実感はありますか?」と、
優しく問いかけてあげましょう。
答えなんかでなくてもいいのです。答えられなくてもかまいません。
考えを巡らせること自体が、自分に寄り添うことになりますし、
自分がどう生きたくて、本当はどうしたいと思っていて、
どれだけ健気に生きてきたかを認めてあげることもできるでしょう。
どうぞ、じっくりと自分の心の声にm意味を傾けてあげてくださいね。
「自己を学ぶ秋」、でした。
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