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2025年2月

miraisozojuku

立春

2025年の節分が過ぎ、立春を迎えました。

旧暦では、立春を過ぎて最初の新月が1月1日としていたようですが、ボクにとっては、やっぱり 立春こそが新しい年のはじまりだと感じます。


一年の中でも最も寒さが厳しい時期に、「春が立つ」という言葉の響きが、大好きな希望を感じさせてくれるのです。


希望があるからこそ、希望を描くことができるからこそ、人は苦悩を耐え忍ぶことができるのではないか

――そう思うほどです。


●苦しみなんかない方がいいとは思うけれど

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ボクたちは誰もが、何かしらの苦悩を抱えて生きています。


のほほんと暮らしていても、思いがけないことが起きるし、どうにもならない状況に直面することもある。


ボクは、悲しいことや苦しいことと向き合い続けるのが苦手です。


そんなの誰だってそうかもしれませんが、特に若い頃は、問題や苦悩をできるだけ遠ざけようとしていた気がします。


でも、バリバリと仕事をしていた頃、妻に言われた言葉があります。

「そこから逃げ出したとしても、自分からは逃げられないのよ」


ヒエーッ、でした。

正直、その言葉からも逃げ出したいくらいだった。


●居心地のいい場所

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居心地のいい場所を選んでいくうちに、居心地のいい場所はどんどん狭くなっていきます。


誰かのことが気に入らなければ離れればいいし、嫌なことが起きれば別の場所に行けばいい。

でも、居心地のいい場所にいるほど、気づけば 「本当に安心できる居場所」がなくなってしまう。


誰かのせいにする、環境のせいにする。


そうしていると、結局「自分」という軸が育たないままになってしまう。


「自分の目の前に起きることのすべては、自分が創り出している」


これは極端な見方かもしれませんが、そういう視点を持つことで、どんな人生にも真正面から向き合えるようになるのだと思います。


●どうにもならないこと

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誰にもどうにもならないことはあります。

生まれも、生まれたときの環境も、父親も母親も選ぶことはできないし、考えてみれば、人生には「どうにもならないこと」ばかりなのかもしれません。


でも、それならば。


どうにもならないなら、それをどう楽しむかを自分で選べるのかもしれない。


負け惜しみかもしれませんが、何もかも思い通りになる人生は、案外つまらないのではないかと思うのです。


●希望―― パンドラの箱の最後に残ったもの

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ギリシャ神話に「パンドラの箱」の話があります。


神々が作ったパンドラという女性が、決して開けてはいけないと言われた箱を開けてしまった。

すると、その中から 病気・悲しみ・憎しみ・戦争―― あらゆる災厄 が世界中に飛び散ってしまった。


驚いたパンドラが慌ててフタを閉めたとき、ただひとつ、箱の底に残っていたものがありました。


それが、「エルピス(希望)」 です。


どんなに絶望的な状況でも、希望がある限り人は生きられる。


この神話は、そう伝えているのだと思います。


ボクは、「希望」という言葉が大好きです。


何か言葉を求められて色紙にサインをするなら、「希望」と書きたいくらい。


「希望なんて持てない」

―― そう思うような出来事に出逢うこともある。


でも、今日を生きていられるのは、どんなに苦しいときも、心のどこかに希望の光が残っていたからなのかもしれません。


夢や目標が叶ったとしても、希望は消えないと思うのです。


だって、未来はいつだって、今よりきっと素晴らしいと信じているから。


さて、これを読んでくださったあなた。

あなたの 希望 は、今どこにいますか?

あなたの行く道を、間違いなく照らしてくれているはずです。


立春を迎えた2月。

希望を携えて、元気に今年の自分を探しに行きましょう。

 
 
 

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