● 協調性か、独自性か
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昨年の夏ごろから、海外ではマスクなしの様子がニュースでたびたび報道されていました。
日本では、最近ようやく、と言った感じですね。
それでも、街を歩く人々の様子は、まだマスクを着けている人の方が多いような気がします。
実際、建物内に入るときや店舗内ではマスク着用がマナーのような気がして、
わざわざつけ外しするのが面倒なので、私はつけっぱなし、がほとんどです。
マンションのエレベーターに、マスクなしで乗り込んでいる人がいると、
自動的に反応している自分にも驚きます。
3年という月日で身についた習慣とはいえ、常に新しい環境が目の前に訪れる感覚です。
それでも、最近始めた散歩のときはマスクなしで歩いています。
しばらく忘れていた、空気のにおいや風が当たる感触は、気持ちを高めてくれます。
日本の文化、DNAとして、「自分が良ければいい」と言うようなわけにはいかず、
周囲の様子を見ながら、と言った人が多いのではないでしょうか?
日本人であれば、ほとんどがそのように教育されてきたのではないでしょうか?
協調性は、我が国の人々の特性と言ってもいいと思います。
● 是か非か
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日本人のそのような協調性は、時にあいまいさとして伝わります。
はっきりと自分を主張しない、とか、何を考えているのかわからない、とか。
確かに、はっきりと主張するよりも、
周囲の雰囲気や空気を「察する」ことを学んできましたから、
それはやむを得ないことだと思います。
そして、それがいいことなのかどうか、は何とも言えません。
(ここでもあいまいな言い方になりましたね)
わたしとしては(こうやって前置きするのも日本人の特性でしょう)、
自分を主張する側にはいるつもりですが、
それでも、周囲との関係性を創り出すうえでは協調性も必要だということは認識しています。
協調性を重んじるあまり、自分の欲することが見えなくなる人がいます。
主張するばかりで、他者との共存を考えない迷惑者もいます。
どちらが良いということではなく、ひとりで生きていくことはできないのですから、
どちらをベースに生きるのかを私たちは学び選ばなければならないのです。
それぞれに良さがあり、それぞれに欠点があります。
新学期が始まり、子どもたちは新しい環境に好むと好まざるを問わず、入っていきます。
自分の個性を生きるか、協調性を生きるのか、
子どもたちにとってはなかなか難しい試練に向き合いながら成長していくのです。
私たちも、自分の新しい時間と環境に、さて、どんな立場で飛び込んでいくのでしょうか。
主張? それとも、協調?
その先に、私たちには、どんな未来が待っているのでしょう。
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