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2025年7月

  • miraisozojuku
  • 7月5日
  • 読了時間: 3分

「自然が問いかけてくるもの」── 七夕のころに寄せて



こんにちは。


暦の上では「小暑」。


七夕を迎えるころには、そろそろ梅雨が明け、夏本番へと向かう季節です。


けれど、昨今の空模様を前に「梅雨が明ければ暑くなる」といった季節の語りは、もはやまったく当てにならなくなってきました。七夕前には東京の梅雨も明けてしまいそうです。


「異常気象」の“異常”という言葉すら、もはや特別ではない。


20世紀、人間は自然をコントロールできると信じ、時に支配しようとさえしました。


今、私たちの目の前にあるのは、その思い込みの代償なのかもしれません。



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『自然の驚異は、心の象徴でもある』


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大雨、猛暑、干ばつ、地震、氷河の崩壊──


それらを単なる「自然の脅威」として見るだけではいけないような気がします。


もしかするとそれは、私たち自身の内面を映しだしているのかもしれません。


抑えきれず噴き出す感情、行き場のない不安、行きすぎた欲望、そして無自覚な無関心……。


自然のうねりの中に、私たちは自分自身の“心のうごめき”を見出すことがあります。


自然は、私たちの「生き方そのもの」を問いかけているのです。



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『遠ざけずに、見つめるということ』


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──「外の世界」と「内なる世界」は、響きあっている


「外の世界」と「内なる世界」は、私たちが思う以上に深くつながっています。



ユング心理学では、外界の出来事や出会いは、私たちの無意識が象徴的に表現されたもの=「シンクロニシティ(共時性)」と捉えることがあります。つまり、外の自然や出来事に心が動くとき、それは自分の内側の何かが呼応しているということ。



私たちが自然に畏敬の念を抱くのは、それが単なる“風景”ではなく、自分の中にもある「大いなるもの」を映し出しているからなのです。



たとえば、激しい雷雨に心をざわつかせるとき。



それは、心の奥にある抑えきれない怒りや衝動、あるいは混沌とした感情を、自然が象徴として見せてくれているのかもしれません。



あるいは、朝の光や風に静かに癒されるとき。


それは、あなたの内側にある希望や再生のエネルギーが、そっと動きはじめた兆しかもしれません。


東洋思想では、自然と人は一体の存在とされてきました。


人が「自然と共に生きる」とは、自分の心の動きと自然の営みを切り離さずに受けとめ、調和していくこと。


自然の異変や脅威に直面するときほど、それをただの災いとして拒絶するのではなく、


「これは自分に何を問いかけているのだろう」と耳をすませてみる。


その視点こそが、目には見えない「心の軸」をつくる道筋なのではないでしょうか。



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『この夏、あなた自身の選択で』


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この夏をどう過ごすかは、誰かに決めてもらうことではなく、


あなた自身が選び取ること。


どうか、あなたの内なる自然とつながりながら、


この季節を、しなやかに、穏やかに過ごしてみてください。


私たちもまた、アート表現という手段を通して、


「自分」と「世界」の健康を育む場を、静かに、誠実に、つくり続けていきます。

 
 
 

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