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2026年10月

miraisozojuku
10月3日
読了時間: 4分

月に、何が見えますか?


10月に入りました。

日が暮れるのも、ずいぶん早くなりましたね。

秋分を過ぎ、これから少しずつ夜の時間が長くなっていきます。

秋の夜といえば、やはり月でしょうか。

昔から日本人は、月を眺め、そこにさまざまな思いを重ねてきました。

でも考えてみると、私たちは月そのものを見ているだけではないのかもしれません。


● 同じ月なのに、見えるものが違う


私たちは月の模様を見ると、「ウサギがお餅をついている」と教えられて育ちました。

ところが、同じ月を見ていても、世界中の人がウサギの餅つきを見ているわけではありません。

中国でも月にはウサギがいるとされていますが、そのウサギは餅ではなく、不老不死の薬を搗いているともいわれます。

ヨーロッパでは、人の顔や人影を見て「月の男」と呼ぶ文化があります。

同じ月です。

同じ模様を見ています。

それなのに、そこから見えてくるものが違う。

考えてみれば、不思議なことです。

人は目の前にあるものを、そのまま「見る」だけではなく、そこに何かを重ね、何かに見立て、物語を生み出してきたのでしょう。


● 千年前の人が、月に見たもの


『万葉集』に、こんな歌があります。

月を何かに見立てるのではなく、月夜が物語の舞台として動きだします。

天の海に 雲の波立ち 月の船

星の林に 漕ぎ隠る見ゆ

――柿本人麻呂歌集『万葉集』巻七・1068

なんとも美しい歌です。

空は海となり、雲は波となる。

そして、夜空に浮かぶ月は一艘の船となって、星の林の中へと漕ぎ進んでいく。

千年以上も前の人が月を眺めながら、そこにそんな世界を見ていたのです。


●「見立てる」ということ


日本には昔から「見立て」という文化があります。

庭の石を山に見立てたり、白砂を水の流れに見立てたり。

そこに実際にはないものを想像し、見えているものの向こう側に、もう一つの世界を見いだしていく。

私は、この「見立てる」ということが、私たちクエスト総合研究所が長年取り組んできたアートセラピーにも、どこか通じているように感じます。


● 「何を描くか」を決めすぎない


私たちがアートセラピーを行うとき、

「あなたの悲しみを描いてみましょう」

「今の自分を描いてみましょう」

といったように、最初からゴールを設定することは、ほとんどありません。

何かを描こうと決めた瞬間に、「こう描こう」「こう表そう」という自我意識が働き始めるからです。

それよりも大切にしているのは、いかに自由に、安心して表現できるか。

そのための環境や場を丁寧につくることです。

そして、出来上がったアートを、私たちが分析することもしません。

「この色は○○を意味します」

「この形はあなたの○○を表しています」

そんなふうに、外側から意味を与えることはしません。


● アートから、何かが見えてくる


では、何をするのでしょう。

自由に表現されたアートを、その人と一緒に眺めます。

眺めているうちに、

「なんだか、○○のように見える」

「ここが気になる」

「これは、何かを言いたそうだ」

そんなことが起こることがあります。

最初から意図して描いたわけではないのに、目の前に現れたものを何かに見立てていくうちに、その人自身が何かを感じ取り始める。

そして、ときにはそこから、まだ言葉になっていなかった物語が動き始めます。

私たちファシリテーターの役割は、その答えを教えることではありません。

その人自身が、自分のアートから何かをキャッチしていく。

そのプロセスを見守り、ともに歩いていくことです。


●今夜、月を眺めてみる


月にウサギを見る。

人の顔を見る。

そして、千年以上前の人は、そこに夜空を漕いでいく一艘の船を見ました。

月そのものは変わりません。

けれど、そこから何が見えてくるのかは、一つではありません。

人間には、目の前にあるものをきっかけに、そこにはないものを思い描き、そこから物語を生み出す力があります。

それは、私たちが思っている以上に、豊かな力なのかもしれません。

情報があふれ、すぐに意味や答えを求めることの多い時代です。

だからこそ、ときには答えを急がず、ただ眺めてみる。

そして、自分の中から何が現れてくるのかを待ってみる。

秋の夜。

少しだけ足を止めて、月を見上げてみませんか。

あなたには、その月が何に見えるでしょう。

 
 
 

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