2026年9月
■つながれてきたこと、そしてつながっていくこと
9月になりました。
まだ夏の暑さは残っていますが、朝夕の光や風に、ほんの少し秋の気配を感じるようになりました。
季節が少しずつ次の季節へと移っていくこの頃、先日見た「The Family of Man(ザ・ファミリー・オブ・マン)」という写真展のことを思い出しています。
■一人の子どもの眼差し
「The Family of Man」は、1955年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された写真展です。
第二次世界大戦が終わって、まだ10年。 世界各地の写真家たちが撮影した写真を通して、国や人種、文化を超えた、人間に共通する「生きる」という営みが映し出されています。
生まれること。 育つこと。 恋をすること。 家族になること。 働くこと。 喜ぶこと。 悲しむこと。 そして、老い、死んでいくこと。
たくさんの写真の中で、私の目が離せなくなった一枚がありました。
一人の日本の子どもが、自分の手には余るほどの大きな握り飯を持って、じっとカメラのレンズを見つめています。
戦争の時代に撮られた写真です。
戦争というと、私たちはつい、国と国との争いや歴史上の出来事として考えてしまいます。
けれど、その写真に写っているのは、一人の子どもです。
お腹が空けば食べる。 安心できる場所で眠る。 誰かに守られながら育っていく。
本来なら、そんな当たり前の時間の中にいたはずの子どもです。
その小さな手に不釣り合いなほど大きな握り飯を見ていると、戦争というものが奪うのは、命だけではないのだと思えてきます。
人が生きていく、ごく普通の時間そのものを壊してしまう。
そんなことを感じました。
■それでも、人は恋をする
一方で、同じ写真展の中には、恋人たちの姿もあります。
寄り添い、見つめ合い、笑っている。 とても温かく、どこか可愛らしい。
戦争の中にいる子どもと、幸せそうな恋人たち。
まったく違う世界のようでありながら、どちらも同じ人間の姿です。
人間は、争い、傷つけることもある。 けれど同時に、誰かを愛し、守りたいと思い、共に生きようともする。
そこには、人間という存在の不思議な矛盾があるように思います。
■私たちは、何をつないでいくのか
人類の歴史を振り返れば、戦争は一度ではありません。
大きな傷を残しながら、それでもまた、人は誰かと出会い、恋をし、子どもを抱き、食べ物を分け合い、暮らしをつくってきました。
そして、命を次へとつないできました。
考えてみれば、私たちが今ここにいるということ自体が、その長い「つながり」の先にあるのでしょう。
そして、つながれてきたのは命だけではありません。
誰かを大切に思うこと。 守ろうとすること。
一緒に食べること。 笑うこと。 悲しむ人のそばにいること。
そんな、人間が長い時間をかけて受け渡してきたものもあるのだと思います。
あの子どもが手にしていた大きな握り飯も、誰かがその子に手渡したものだったのかもしれません。
そう思うと、一枚の写真の中にも、「つなぐ」という人間の営みが見えてくるような気がします。
■秋へ向かう時間の中で
秋は、実りの季節です。
春に芽吹き、夏の光を受けて育ったものが実を結び、その実の中には、もう次の季節へとつながる種が宿っています。
私たちの人生も、少し似ているのかもしれません。
誰かから受け取り、 自分の時間を生き、
そしてまた、誰かへ手渡していく。
つながれてきたものを、つないでいく。
「The Family of Man」。
このタイトルを思い返しながら、私はあの二つの光景を思い出します。
大きな握り飯を手に、じっとこちらを見つめる子ども。
そして、幸せそうに寄り添う恋人たち。
人間は、深く傷つけ合ってきました。
それでも人は誰かを愛し、生きようとし、次へとつないできた。
その両方が、人間なのだと思います。
そして今を生きる私たちもまた、その長いつながりの途中にいます。
私たちは、次の人たちへ何を手渡していくのでしょう。
秋へ向かう季節の中で、そんなことを考えています。




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